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2009年01月16日
厄落とし???
小さな災厄を自分で用意し、これで不運は出尽くしたと安堵する。
江戸の人々はふんどし(失礼)に銭を包み道端にわざと落として厄落としをしたという。
「好事魔多し」とは、いつの世にも通じる教えである。 順風満帆のときは、いつ災厄が訪れるかと誰にとっても怖いものだ。
そのために、前もって小さな不幸、不運をこうむろうとするのが厄落としである。
そう言えば、宝くじの高額当選者で幸せになった者はいないとも聞く。 (当たらないもののやっかみか。
)
また、古歌に <言わざると見ざると聞かざる世にはあり、思わざるをば未だ見ぬかな>とある。 「言わない、見ない、聞かないはできても思わないのは難しい」ということか。
おみくじも、日々の暮らしも「大吉」ばかりを求めず、 「小吉」、「末吉」で満足
とし、巡り来る春を期待したいものだ。
厄落としは節分の夜の習俗というが、不運な厄は早めに落として気持ちを前向きに春を待ちたい。
(最近は餌場を覚えたのか毎日やってくるメジロたち)



「好事魔多し」とは、いつの世にも通じる教えである。 順風満帆のときは、いつ災厄が訪れるかと誰にとっても怖いものだ。
そのために、前もって小さな不幸、不運をこうむろうとするのが厄落としである。

そう言えば、宝くじの高額当選者で幸せになった者はいないとも聞く。 (当たらないもののやっかみか。

また、古歌に <言わざると見ざると聞かざる世にはあり、思わざるをば未だ見ぬかな>とある。 「言わない、見ない、聞かないはできても思わないのは難しい」ということか。
おみくじも、日々の暮らしも「大吉」ばかりを求めず、 「小吉」、「末吉」で満足

厄落としは節分の夜の習俗というが、不運な厄は早めに落として気持ちを前向きに春を待ちたい。

(最近は餌場を覚えたのか毎日やってくるメジロたち)

Posted by 古葉茶庵 at 10:06
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