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2012年02月21日
山城探索
一昨日、市教育委員会の企画で「志布志の山城探索ツアー」に参加した。総勢80人(?)、バス2台に分乗し、松山城、蓬原城、志布志城を昼食をはさんで一日がけでかけ歩いた。

最初に訪ねたのは、松山城跡、平清盛の弟の孫が1188年に築いたといわれる。現在は学校が建っており、二の丸跡に終戦時、陸軍が建立した「神州不滅の碑」が建っている。

続いて,有明・蓬原城跡、1359年ごろ救仁郷(くにごう)氏の居城とされる。秀吉の薩摩入りで城はなくなり、現在は菱田川沿い田んぼの中にぽつんと浮いている。
夏場はまむしの棲家らしいので、決して探検されないように



最後は志布志城跡、一口に志布志城と言っているが、松尾城、高城、新城、内城の総称でうち新城の一部と内城を探索した。
内城・矢倉場(矢倉のある曲輪(山城の中にある平坦な面)、に今も眠っている「新納(にいろ)時久」の墓と本丸の曲輪にある三宝荒神の社


特に内城は沢山の曲輪と空堀があり、散策コースマップがあるが、とてもではないが案内人なしでは迷子になってしまいそう


この貴重な遺跡というか文化財を現状のまま保存管理して後世に語り継いで欲しいものだ。
最後に、本丸の曲輪から志布志湾を覗いた。800年を超える昔の武士(もののふ)が戦いの合間にどんな気持ちで、志布志の海、または果てしなく広がる日向灘を見たか。ロマンが広がる。


Posted by 古葉茶庵 at 11:54
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