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2007年12月31日
亥年の終わりに当たって?
十二支の最後、亥年もあと僅か、過ぎ去ってみればあっという間の一年だった。
本年7月からblogを始め、blogに明け暮れた半年だった感も無きにしも非ず、やっとここまで来たという感じだ。
これまでアクセス頂いた沢山の方に感謝感謝なり。
本日の投稿が本年の<blogり収め>
その1(本年を振り返り思うこと)
私もそう思うし、人も言う。「ひどい世の中になった。」、「日本人は壊れてしまった。」……暗い顔をして語る人が多い。本当にそうだろうか?
確かに今年、倫理観と責任感が抜け落ちたような事件が多発した。即ち、本年の漢字一字「偽」である。
しかし、出発点の多くは昨日今日ではなく過去にある。赤福も、栗本鉄工所も、前防衛事務次官と業者の癒着も、薬剤C型肝炎も……etc……すべて過去からの引継ぎである。
倫理観や責任感の欠如に気付かず問題にしてこなかった昔と、それが厳しく問われ、次々に表面化する今、どちらがひどい世の中か……。
企業経営者、従業員、消費者、三者それぞれの意識改革により浄化作用がそれなりに働き世の中はまともになりつつあると考えるのだが……。
その2(来る年に期待して)

は鹿児島限定焼酎「篤姫」である。
来年の大河ドラマは薩摩が舞台の「天璋院篤姫」である。先日から改めて海音寺潮五郎「西郷と大久保」を熟読している。
徳川十五代にわたる将軍家の正室は殆んどが公家から嫁ぎ、大名家は島津家だけである。篤姫は今和泉島津家に生まれ、後に斉彬の養女となって十三代将軍徳川家定の正室となり江戸城に入る。
家定の逝去により「天璋院」となってから本領を発揮、「幕末のファーストレディー」と言われ大奥の頂点に君臨して活躍した。江戸城開城を向かえ、西郷隆盛に出した嘆願書に「私が徳川家にいることを考えよ。斉彬の命あってのこと」と送り徳川家の存続に結びつけた……。
家定についてはいろんな評が残っている。家定のこと、小松帯刀のこと、その他etc……ドラマがどのように描かれ、展開するのか、楽しみである。
いずれにせよ一夜明けると子(ねずみ)の年、チュウー(注)意、チュウー(注)目してくる年を期待しまチュウー!!
本年7月からblogを始め、blogに明け暮れた半年だった感も無きにしも非ず、やっとここまで来たという感じだ。

本日の投稿が本年の<blogり収め>

その1(本年を振り返り思うこと)
私もそう思うし、人も言う。「ひどい世の中になった。」、「日本人は壊れてしまった。」……暗い顔をして語る人が多い。本当にそうだろうか?
確かに今年、倫理観と責任感が抜け落ちたような事件が多発した。即ち、本年の漢字一字「偽」である。
しかし、出発点の多くは昨日今日ではなく過去にある。赤福も、栗本鉄工所も、前防衛事務次官と業者の癒着も、薬剤C型肝炎も……etc……すべて過去からの引継ぎである。
倫理観や責任感の欠如に気付かず問題にしてこなかった昔と、それが厳しく問われ、次々に表面化する今、どちらがひどい世の中か……。
企業経営者、従業員、消費者、三者それぞれの意識改革により浄化作用がそれなりに働き世の中はまともになりつつあると考えるのだが……。
その2(来る年に期待して)


来年の大河ドラマは薩摩が舞台の「天璋院篤姫」である。先日から改めて海音寺潮五郎「西郷と大久保」を熟読している。
徳川十五代にわたる将軍家の正室は殆んどが公家から嫁ぎ、大名家は島津家だけである。篤姫は今和泉島津家に生まれ、後に斉彬の養女となって十三代将軍徳川家定の正室となり江戸城に入る。
家定の逝去により「天璋院」となってから本領を発揮、「幕末のファーストレディー」と言われ大奥の頂点に君臨して活躍した。江戸城開城を向かえ、西郷隆盛に出した嘆願書に「私が徳川家にいることを考えよ。斉彬の命あってのこと」と送り徳川家の存続に結びつけた……。
家定についてはいろんな評が残っている。家定のこと、小松帯刀のこと、その他etc……ドラマがどのように描かれ、展開するのか、楽しみである。

いずれにせよ一夜明けると子(ねずみ)の年、チュウー(注)意、チュウー(注)目してくる年を期待しまチュウー!!

Posted by 古葉茶庵 at 16:13
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