2008年09月14日
千の風を追って……???
一昨日、遠縁の人が亡くなり本日、母、カミさんと連れ立ち鹿児島市まで野辺送りに出かけた。
その折の導師お坊さんのユニーク法話に感動を覚えたので、その一部を紹介したい。
「人は死ぬまでに3回支えられて生きる」という。1回目は産んでくれた父母の支え、2回目は成長を支えてくれた周りの人たち、そして3回目は老いて子供や孫達の支えを受けて生涯を全うするという。
私は今、2回目の支えをしながら3回目の支えを受けているということか。
また人は「オギャ~!」と産まれてくるとき、先ず耳(聴覚)で母親の心音を聴き、次に口(言葉)で泣き、笑い、しゃべる、最後に目(視覚)を使って物を認識する。(産まれて3歳位までは超近眼でよく見えないという。)
反対に西方浄土に旅立つ(ご臨終の)時は逆に、目が見えなくなり、口が動かなくなり、最後に残った耳は神経が集中し良く聴こえるという。
……だから臨終の枕辺では一言の悪口も言わず、「ありがとう」を言って、お別れして送りなさいと言われる。
お坊さんは重ねて言う「人の命は儚(はかな)い。儚い故に尊とい。」……と。
人の命を送ることによって、人の死を厳粛に受け止め、今ある自分の命、幸せをつくづくありがたく、これからの人生を大切にと思うことである。
そんな……一日だった。合掌


その折の導師お坊さんのユニーク法話に感動を覚えたので、その一部を紹介したい。

「人は死ぬまでに3回支えられて生きる」という。1回目は産んでくれた父母の支え、2回目は成長を支えてくれた周りの人たち、そして3回目は老いて子供や孫達の支えを受けて生涯を全うするという。
私は今、2回目の支えをしながら3回目の支えを受けているということか。

また人は「オギャ~!」と産まれてくるとき、先ず耳(聴覚)で母親の心音を聴き、次に口(言葉)で泣き、笑い、しゃべる、最後に目(視覚)を使って物を認識する。(産まれて3歳位までは超近眼でよく見えないという。)
反対に西方浄土に旅立つ(ご臨終の)時は逆に、目が見えなくなり、口が動かなくなり、最後に残った耳は神経が集中し良く聴こえるという。
……だから臨終の枕辺では一言の悪口も言わず、「ありがとう」を言って、お別れして送りなさいと言われる。

お坊さんは重ねて言う「人の命は儚(はかな)い。儚い故に尊とい。」……と。

人の命を送ることによって、人の死を厳粛に受け止め、今ある自分の命、幸せをつくづくありがたく、これからの人生を大切にと思うことである。

そんな……一日だった。合掌

Posted by 古葉茶庵 at 18:15Comments(0)||
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