2010年06月23日
「自由律」???
<うしろすがたの しぐれてゆくか>、<まっすぐな道でさみしい>、<ひとりで蚊にくわれている>、<しぐるるや 死なないでいる>……。
……これって……何なの




違います。これは「自由律」俳人の筆頭・種田山頭火の俳句である。「自由律」とは、大正3年に萩原井泉水(おぎはらせいせんすい)が提唱した五・七・五や季語にこだわらない俳句の一形式である。
山頭火はもともと貧乏と正反対、山口県防府の大地主の家に長男として生まれたが、父は放蕩、母自殺、破産、自身も酒を愛し、旅を愛し、俳句を愛した。結果妻と別れ放浪の旅暮らしとなった。
旅日記(行乞記) 昭和5年10月20日
「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、一人でいることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作っていることはさみしくない」……と酒と旅と俳句が自分には欠かせないと書いている。
ここ、志布志とも無縁ではない。


この間に46句を詠み志布志に3句の句碑が建っている。JR志布志駅前<ひときれの雲もない空のさびしさまさる>、志布志公民館支所前<秋の空たかく巡査に叱られる>のほかダグリ岬公園にある。


説明不足でもの足りない「自由律」……分かりやすい短い言葉の行間、字間にこもる物語、思いを読む人それぞれが感じて欲しいということか。


Posted by 古葉茶庵 at 14:40Comments(0)||
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