2009年06月03日
インフルジャーニー4(和歌山観光)
5月25日(ジャーニー3日目)
厚木から来た弟たちを送り、和歌山市内観光に出かける。
和歌山市は「紀ノ川」の河口に位置し、徳川御三家の一つ、紀州藩55万5千石の城下町として栄え、今なお悠久のロマン漂う街である。

和歌山城に向かう途中、市内で行列のできる有名なラーメン店「中華そば専門店 井出商店」を見つける。なんともそれらしい美味しそうな店構えである。

観光の第一はなんと言っても和歌山城、虎伏山(標高49m)にそびえる徳川御三家紀州の居城、1585年紀州を統一した豊臣秀吉が弟秀長に築城させた。
関が原戦役後、1619年徳川家康の第10子頼宣が入城、55万5千石の城となる。以後尾張、水戸と並び御三家の一つの居城として永い歴史を刻んできた。


天守閣下の広場に城と並び有名な西条八十作詞「まりと殿様」の歌碑


天守閣に登り和歌山市外を見渡せば紀ノ川がゆったり西へ流れ遠く東に高野山を望むことができる。

昔日を偲べば、徳川中興の英主と言われた5代城主は吉宗は八代将軍(暴れん坊将軍)となり、ドラマ「篤姫」でなじみの13代慶福(よしとみ)は14代将軍家茂(いえもち)となった。



和歌山城を跡に南下、万葉人の憧れ和歌浦から左に海を眺め海岸線を西へ、浪早ビーチ、雑賀崎観光灯台に至る。途中の絶景と歌碑は万葉ロマンの旅情をかきたてる。


和歌浦を万葉歌人 山部赤人は「和歌の浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」と詠み、雑賀崎では「紀の国の 狭日鹿(さひか=雑賀)の浦に出てみれば 海人(あま)の燈灯(ともしび)波の間ゆ見ゆ」の歌碑を見る。

同じ道を右に海を眺め、「和歌の浦に名所がござる 一に権現」と歌われた紀州東照宮に向かう。着いた駐車場管理の人「1時間300円、それを過ぎると800円頂く」と言う。何か可笑しんじゃない

いざ、東照宮へ、一瞬立ちすくみそうになる108段の「侍坂」


会談を登りつめると朱塗りの楼門、振り返ると紺碧の海が目に入る。初代別当は徳川初代から3代まで徳川政権を支えたあの天海僧正である。



社殿は「関西の日光」とも呼ばれ、左甚五郎作の彫刻、狩野探幽の襖絵は圧倒する素晴らしさである。

この日の観光を終え夕食の待つ岩出に帰る。未だ新インフルの徴候なし。毎日沢山のアルコールで消毒しているお陰か!!
Posted by 古葉茶庵 at 18:01Comments(0)||
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