「盆休み旅 夫婦+1」 その6

古葉茶庵

2008年08月26日 10:17

 旅の途中6日目 8月20日(火)

 本日から復路、「広島平和記念公園」をカーナビにセットし10:45倉敷発、11:50公園着、広島に来たら何をさておいても「広島風お好み焼き」を食べなければと、通行の人に近くの店を聞き飛び込む。

 なかなか洒落た店、「広島風そば焼き」を注文する。



 

 美味しかった。ご馳走様でした。


 平和記念公園見学

 孫娘勉強のため原爆公園の見学、ウイークデイにも拘わらず沢山の人である。特に外国人見学者の多いのには驚いた。
 以下長くなるので説明なしで写真で紹介したい。

 原爆ドーム(ほぼ爆心地 被爆時の名称:広島県産業奨励館)

  



 記念公園(ノーモアヒロシマ、原爆の子の像、平和記念像)
 原爆死没者慰霊碑(慰霊碑ー平和の灯ー原爆ドームが一直線に並んでいる。)


 

 



 記念資料館



爆発の8時15分を指して止まった時計
 



 孫娘に現在の広島の街並みから63年前の口では表せない悲惨な惨状や復興までの道のりを想像することは容易ではない。

 そこで何が起き、その後どう歩んできたか、平和の大切さetc……の一端でも掴んで欲しいと思う。

 私自身、記念公園の見学は5回目くらいとなるが、今回の訪問で初めて知ったことがあった。

 それは、なぜ広島が第一の投下目標となったかということである。沢山の目標地点、何度かの変更、検討された後、最後に連合軍の捕虜収容所がなかったことで第一目標にされたということである。

 犠牲となった沢山の人々のご冥福をお祈りしたい。


 平和公園を後に、2年前に訪ねた後屋移りした娘のマンションに向かう。広島の郊外、五日市インターの近くにあった。

 田舎者が驚いたことに32階建てマンションの31,32階に夫婦、子供3人で住んでいた。部屋に着き下を見てその高さに唖然である。雷鳴のとき稲光が横から見えるという。下を見ないことにした。

 

 上機嫌で迎えてくれた気取りやさんの末孫娘(3歳)



 ここで眠れば……本物の夢心地だろうか


   

 




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