薩摩の力???

古葉茶庵

2012年08月01日 13:27


 先日、サンポートしぶしアピアに「西郷と竜馬・維新志士たちの書幅・書額展」を見に行った。

 幕末、熊本藩細川家の家老職であった橋本家に代々伝わる西郷隆盛や坂本竜馬など、幕末維新期の志士、名士、約30名の書幅・書額等を展示している。



 

 命と誇りと志を持って近代日本の礎を築いた彼らの肉筆に触れることができる。

 書幅展を観ながら考えたことがある。

 この300年前、関が原合戦後徳川は多くの豊臣方の大名を取り潰した。四国四州をほぼ手中にしていた土佐の長宗我部氏も例外ではなかった。

 なぜ薩摩の島津は潰されなかったのか。否、潰せなかったのか。あの時に薩摩を滅ぼしておけば明治維新はなかった。……だろうに。

 その理由は

 1 当時、大阪城には未だ豊臣秀頼がおり、西国にはまだまだ豊臣系の大名がひしめいていた。長い補給線を引っ張って薩摩征伐をするのは危険だった。

 2 家康が、関が原での島津軍の中央突破による撤退戦の敢行など薩摩の強さに戦慄していた

 3 当時、鉄砲は卑怯な飛び道具と考えられ足軽だけの携行武器だったが、薩摩軍は火力の強さを知り皆「腰さし鉄砲」を装備していた。

 後に日本史を動かした薩摩の強さの背景が、銃で圧倒の合理性にあったということではないでしょうか。