徳川将軍のカルテ???
昨日の続き……創年大学 原口学長資料から……。
徳川(江戸)時代の260年間、十五代にわたり政治権力の頂点にあった
徳川歴代将軍の診断カルテを覗くと
<TVドラマ>と違う面白いものが見えてくる。
食中毒と思われていた「初代家康」の死因は胃癌だったらしい。名君と謳われる「三代家光」は鬱病に苦しんでいたという。また、九代家重と十三代家定(篤姫夫)」は脳性麻痺(性的不能者)の症状が見られた。
そもそも、歴代将軍15人のうち正室から生まれたのは「家光」と「慶喜」の二人だけ、その他はすべて側室腹という「雑種強勢」の法則は面白い。
かつ、家康の直系は四代で途切れ、将軍一人一人の体調や病状が将軍の座に就く妨げとなっておらず、障害者を差別することなく受け入れたのは日本史上特筆すべき出来事であるという。
犬公方と呼ばれた「五代将軍綱吉」の身長は124cm、十二代家慶は154.4cmと残るように一般に身長が低く、頭が大きく、歯並びが極端に悪く、虫歯が多く、下顎が退化していた。
その容姿は現代人を超えて「未来人」、「宇宙人」と言えるほどである。 ……
<唖然・呆然>
このようになった原因は、将軍を有難がる、大切がるのあまり、将軍の食卓には歯ごたえのある獣肉は上らず、脂肪、蛋白質が少ないメニューであった。
幕末の激動期、十四代家茂は21歳の若さで新妻「和宮」を江戸に残し大阪で没した。死因は脚気であったという。腹痛を起こされたら大変と、柔らかいものばかりで肝や肉などのビタミンB1の含まれない偏食と予想される。
このように権力の頂点にあった将軍達は以外にもバランスの悪い食生活を強いられていた。 ……
<愕然>