「死刑存廃論」について一言

古葉茶庵

2008年06月20日 10:18

 昨夜、宮崎の娘から電話があった。
 孫(男5歳)を後部座席に乗せ幼稚園迎えの帰途、後部座席シートベルト無装着でお巡りさんに停められた。……<唖然・呆然>

 お巡りさんの話の途中から孫は急に大声で泣き出しお巡りさんに訴えたそうだ。「僕が大きくなってから罰を受けるから……お巡りさんママを捕まえないで」……<愕然>


……閑話休題……

 先日、「幼女連続誘拐殺人」死刑囚の死刑が執行された。犯行から20年、刑確定から2年4ヶ月はまだ記憶に新しい。
 さて、現在の死刑制度に対しては存置派と廃止派双方の主張が激しく対立している。

 過去に某法務大臣は「私は死刑廃止派だ」として死刑執行の判を一度も押さなかった。これは職務怠慢どころか職務放棄である。なぜ法務大臣を拝命したのか、国民を馬鹿にしている。

 私は「存置派」である。そもそも刑罰は犯罪の予防、抑止力、抑止効果を得るために定められている。分かりやすくいえば……犯罪を犯そうとする者が、「これをすれば、こんな刑罰が科せられる……馬鹿らしい、やめた。」……を目的としたものである。

 刑罰の確定、適用は裁量的なものである。そのために裁判が繰り返される。しかし、尊い人命を奪った殺人については基本的、原則として「死刑」に処せられるべきではないだろうか。

 その上で、殺人に至るまでの動機、殺人の態様、理由等々により減点方式で死刑、懲役、無罪を確定すべきであろう。

 最近の犯罪態様から刑罰の確定について、死刑と無期懲役(実際には仮釈放で出所あり)の格差が大きく、この間に「仮出所のない終身刑」を設定してはどうかと思う。

 刑罰から死刑を廃止すれば、劇場型の面白半分まで含め殺人事件の多発が懸念される。

 
 いよいよ「裁判員制度」が始まるが、現状では少なくとも私は指名されたくない。 

 重い話でご免なさい。一度は口に出して言いたかった。