「外でも無之候が借金願われまじくや」
<東海の小島の磯の白砂に / われ泣きぬれて / 蟹とたはむる>
<ふるさとの訛(なまり)なつかし / 停車場の人ごみの中に / そを聞きにゆく>
<はたらけど / はたらけど猶(なお) / わがくらし楽にならざり / じっと手を見る>
……今でも多くの人々に愛唱される石川啄木の詩はいい、多くの優れた歌や詩を世に残した。その啄木が「文豪たちの手紙」に登場するのは
暗に違わず、「借金依頼の手紙」である。
啄木が18歳のとき、郷里・岩手県盛岡中学の先輩であり、親友の金田一京助(22歳)に宛てた手紙である。
「生はこの日に於いてこの不吉なる手紙を書かむ事は誠に心苦しき事に有之候(これありそうろう)。それは外でも無之候(これなくそうろう)が、あゝ外でも無之候が……中略……かくの如くして違算又違算、全く絶体絶命の場合と相成申候。
……中略……若し若し御都合よろしく候わば、誠に申しかね候えども金十五円ばかり御拝借願われまじくや。」
筆者は、「18歳の若者が書いた依頼文とは思えない、非の打ちどころのない手紙、たとえ啄木の詩を知らなくても、この手紙だけで啄木の頭脳と表現力の天才性を知ることができる。」と賞している。
借金上手は嘘上手とよく言われるが、啄木の評価の一つに、
嘘つき、ということがある。遊び友達であった北原白秋も「啄木くらい嘘をつく人も居なかった。」といい、
本人にもその自覚があったのか、こんな歌も残されている。
<
何となく / 自分を嘘のかたまりの如く思ひて / 目をばつぶれる>
啄木は26歳で亡くなるまで、京助から金を借り続けたという。
嘘つきの愛すべき人物であったのだろう……。