手紙あれこれ……。
文月にちなんで手紙あれこれ……日本一短い手紙……として、その代表作のように教えられてきたのは、
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一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ>……の一文である。
この手紙は、徳川家康の家臣・本多作左衛門重次が陣中から妻にあてて送った。「お仙」とは、後の越前丸岡城主・本多成重(幼名仙千代)のこと。
ダラダラ書かなくて簡潔明瞭に手紙としての用は成しているが、色気もなければ、味気もない、ものたりない。
ノーベル賞作家・川端康成は「
書簡文は、簡潔で、しかも親愛の情がこもっていなければならない。その上に多少の面白みを加え、相手を感動させるものが望ましい。」と言っている。
手紙は言伝ではない。読んだ後のロマンが欲しい。
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私儀 永らく病気の処、愈々(いよいよ)本日死去仕り候、生存中ご愛顧を蒙(こおむ)り候 各位へ御礼申上候>
……これは手紙ではなく、1919年(大正8年)の初夏、さる新聞にのった存命落語家の死亡広告である。
広告主は死亡広告の本人である異才といわれた「初代柳家小せん」。そして当人が予告した5月6日に36歳の若さで病気でこの世を去った。……という。
まさに異才である。
手紙、文章……人それぞれ……か。