「愛の手紙 Ⅱ」

古葉茶庵

2010年07月03日 11:20


 外は相変わらずの梅雨、降り止むどころかますます激しく降っている。7月に突入、参院選間近……。

 7月の異称は「文月(ふみづき)」、一説に七夕の竹につける文が語源という。

 一昨日は「文豪たちの手紙の奥義」から夏目漱石を取り上げた。最近は手紙を書く人が殆んどいないと聞く、そういえばかく言う私も賀状のほかは贈り物の添え書きくらいだろうか。

 今月は文月、手紙をしたためてみては如何だろうか。

 今回は、「文豪たちの……」から、後に学士院賞、文化勲章などに輝き歌聖と呼ばれた「斉藤茂吉」の手紙をUPしたい。

 茂吉54歳のとき、道ならぬ恋の相手・永井ふさ子(26歳)に送った手紙。この衝撃的な手紙は茂吉の没後10年の時を経てふさ子が公開した。

 ふさ子は茂吉を中心とした短歌の一派「アララギ派」の門弟の一人だった。公開された五十余通の中にあった熱い恋の手紙(抜粋)

 ……天下にただ一人、財布からパラピン紙に包んだ写真を出して目に吸い込むように見ています。何という暖かい血が流るることですか、圧(お)しつぶしてしまいたいほどです。……食いつきたい!……。

 ……実に一日千秋の思いですから、3日間の忍耐は三千秋ではありませんか。……


 なんとも溢れる思いが赤裸々というか無邪気そのものというか……そんな手紙である。

 文月にちなんで暇のない人も暇を創って、恋文といわないまでも、メールでも電話でも届かない思いを手紙に乗せて出して見てはいかが……。

 字は下手でもいいのです。明治天皇に次の歌がある。
 <うるはしく かきもかかずも 文字はただ 読みやすくこそ あらまほしけれ