「格式定目」???

古葉茶庵

2010年06月01日 10:15


 時は天正15年(1587年)、天下平定を目指す豊臣秀吉(1537~98年)は、停戦令を無視して九州全土を席巻しようと豊後(大分)を攻略していた島津征討に赴いた。

 薩摩の太守・島津義久を屈服させ、所期の目的を達したはずの秀吉だったが往路を引き返さなかった。なお抗戦の構えを崩さなかった薩摩の猛将がいたからである。

 この猛将こそ大口(鹿児島県伊佐市)を本拠とする義久の重臣新納(にいろ)武蔵守忠元である。忠元は地元では、青少年の生活規範「二才咄格式定目(にせばなしかくしきじょうもく)」を定めた。

 その格式定目に曰く

 ● 友達であっても悪口を言うな
 ● 嘘を言うな

 ● 自分勝手な行動をせず十分に話し合え


 没後400年、現代も通用する教えである。
 社民党の連立政権離脱etcでなお不透明、八方塞り、出口のない暗闇にある鳩山さん始め与党閣僚に聞かせたい言葉である。