回り灯篭
好むと好まざるに関わらず
連休がやってきた。どこにも行く所がない(……というより
行きたい所がない)。昨日は日曜大工の材料を求めて製材所めぐりをした。
山中の製材所とて侮るなかれ 製材する鋸はコンピューター制御、切断線は赤外線表示である。
閑話休題
連休……旅といえば世の中には汽車、電車好きの「
キ印」の人が少なくない。
<内田百聞>は「
汽車を目の中に入れても痛くない」と言い、<寺山修司>は「
墓は汽車の連結器の中に作って欲しい」と言ったそうだ。この類の人が沢山居る。
この人たちは、みな旅情に敏感で唱歌「汽車」の一節「
回り灯篭の絵のように / 変わる景色のおもしろさ」……を満喫する人たちである。
そんな唱歌のような電車がわが街にある。「終着駅は始発駅」の小さな駅を1両から2両編成の鈍行で離れる。駅を出るとすぐ短いトンネルをくぐる。
街が田んぼになり、海岸になり、海がキラキラ輝いて見える。目を細めて眺める車窓の変わる風景が愉しい。
今、高速道を車で走っても高速新幹線も地下やトンネルを走る。モグラ型の旅に回り灯篭の面白さは無縁であろう。田舎の各駅停車の鈍行旅はいかが。
最後に「啄木」の歌を添える。
<
雨に濡れし夜汽車の窓に / 映りたる / 山間(やまあい)の街のともしびの色>
秋の豊作を予測させてくれる我が庭の
カボスの花に蜜蜂が群がっている。