裏返し歴史観???

古葉茶庵

2010年02月03日 11:03


 今日は節分の豆まき、我が家にも鬼が住み着いてるか、豆が用意してある。子供のころの豆まきは炒った大豆豆を撒いていたと記憶しているが……。

 今は後で拾って食べられるよう皮付きのピーナッツである。勿論昔も大豆豆を拾って食べていた。(汚いとは思わなかった。)

 明けて明日4日ははや「立春」である。しかし、この寒さはどうしたことかい。豆まき寒波の襲来という。

 節分時事川柳にいう<豆よりも今はカネだと鬼笑う>……ったく……。

 ところで、NHK大河ドラマは昨年の「篤姫」、今年の「龍馬伝」……と<明治維新>にスポットが当てられ、「薩長土肥(特に薩長)」の勤皇の志士を正義とし仇なす徳川幕府及び加勢する諸藩を賊軍とする構図で描いている。

 今回、東大文学卒の「半藤一利」著作の「幕末史」を読んだ。



 まさに戦前戦中の皇国史観は、「薩長史観」によって近代日本の成立史(官軍と賊軍)を教え込んできた。そして今もそうである。

 この「幕末史」は薩長史観によらない、かつ歴史に現れた多くの人の手紙などの文章を通して、西郷も龍馬もそんなに偉くない「裏返しの歴史観」を面白く論じている。

 幕末のあれこれが書いてある中、特に「龍馬暗殺」の項を取り上げると次のようである。

 龍馬と中岡慎太郎を京都河原町の近江屋二階で暗殺した下手人は明治に入って判明したところで見回り組みの佐々木只三郎以下7名であるとされている。

 しかし、これには黒幕ががあり、その黒幕は薩摩ではないかと推測している。その根拠は龍馬が大政奉還により王政復古を果たそうとしたのに対し、薩摩はあくまで武力倒幕により徳川の抹殺を図った。

 すでに邪魔になった龍馬を暗殺したという推理である。武力倒幕派の右翼であった中岡慎太郎は側杖で殺されたか。

 また、徳川幕府を倒したものの、新政府の海図なしの船出は大変だったようである。当時の狂歌にある。<上から明治だなどといふけれど 治(おさ)まるめい(明)と下からは読む>……と。