西郷どん 辞世の漢詩???
世紀的な
政権党の大転換に<
唖然・呆然>……暫しblogを休止してしまった。何を書いても誰も驚かない、無感動、無関心……そんな2Wだった。
さて、今朝の読売新聞に「
西郷隆盛 辞世の漢詩か」をみた。西南戦争で自刃した西郷隆盛が死を覚悟して詠んだ辞世と見られる漢詩が見つかった。
子孫が保管している官軍側の医師・山崎泰輔の日記「明治10年 西遊日記」に記され、南州顕彰館によると直筆ではないが本物の可能性が高いという。
【
漢詩】
肥水豊山路己窮 肥水(ひすい)豊山路(ぶんさんろ)己(すで)に窮(きゅう)す
墓田帰去覇図空 墓田帰去(ぼでんききょ)覇(は)を図(はかる)も空(むなし)
半生功罪両般跡 半生(はんせい)の功罪(こうざい)両般(りょうはん)の跡(あと)
地底何顔対照公 地底(ちてい)何(なん)の顔(かんばせ)あって照公に対(たい)せん
(
肥後、豊後への道はすでに窮まった 故山に帰り骨を埋めよう。維新の覇を唱えたが今となっては空しい。 我が半生は功罪両様の跡が残った。 泉下でどんな顔をして照国公(島津斉彬)にお会いすることだろうか。)
西郷が城山で自害した1877年9月24日付けの日記に記載されている。内容から可愛岳(えのだけ・宮崎延岡)で薩摩に帰ろうと決心した同年8月17日に詠んだと見られるとある。
志半ばで人生が終わることを嘆き、故郷に骨を埋めようとする内容で、悔しさ、挫折感がにじんでいる。
我が市民大学学長でもある原口泉・鹿児島大教授(日本史学)も内容的にも西郷らしさを感じる、貴重な史料と話している。
先日来から友人夫人に頼まれ、飾り台のうさちゃん椅子を2台造り合計5台も作った。同じものを沢山作るのは面白みがない。おまけに一生懸命作ったのに上達の後が見られない。
要望により脚と背当ての耳を長くした。