延岡今山大師
孫を訪ねて何回も行く延岡、しかし、名所旧跡、観光名所に行ったことがない。そこで観光の第一と目をつけて
今山大師を訪れた。
まず驚いたのは大鳥居をくぐってすぐ目に付いたのが「
徐福伝説」である。徐福は2200年前、中国秦時代の人、戦乱中国を統一した秦の始皇帝に「東方の海に浮かぶ<蓬莱山>に不老不死の薬を求めて来い」と命ぜられた。
徐福は三千人の童男女と百人の技術者を連れ今山(昔、蓬莱山と呼ばれた)に来てこの岩に船を繋いだという。
神門をくぐり今山八幡宮に向かう。
御影石で作られた参道石段をぜいぜい息吐きながら二つの鳥居をくぐり、やっと着いたところが「
今山八幡宮」……延岡歴代藩主が領内守護の神社として崇敬したという。
ここで終わりと思ったらさらに路は登る。石段を登り詰めたところに「
山門鐘楼」
そこに「
今山大師本堂」……天保10年の時代、城下の信徒達が疫病封じに高野山金剛峰寺から弘法大師座像を祭ったのが始まりという。
その昔、天皇が24人の高僧に「大師」の位を授けた。しかし、世に「
大師は弘法、関白は秀吉に至る」と言われるように弘法大師は大師中の大師である。
ここからこの上にある弘法大師銅像まで沢山の羅漢、菩薩の石像が並ぶ、心に残った石像をいくつか紹介したい。
願いが叶う
多聞(聞き分け)大師と感謝の祈り
念ずれば花開くという「
成就石」……(しっかりなぜてきた。)
最後は頂上にある「
弘法大師銅像」、昭和32年に信者、有志の浄財により建立された。高さ30尺(約10M)、重さ1千貫(約11トン)、総工費1千7百万円(当時)……圧倒される大きさである。延岡の何処からでも望むことができる。