インフルジャーニー5(高野山~白浜)
5月26日(4日目)
この日は朝からの旅立ち、山間の道をくねくねとひたすら登る。
高野山の地名はその地形から生じたという。標高900m、東西6Km,南北3Km、山また山の山上の平地、まさに高野である。
蓮の花のように八葉の峰々に囲まれた平原の幽地というべきか。この台地に高野町があり、小中高大学、郵便局に銀行なんでもある。
先ず迎えてくれたのは「大門」、朱塗り、古色蒼然、巨大重層な入母屋造り、高野山西の入り口正門、自動車は脇道を通る。
車でそのまま中心部高野山金剛峯寺へ、高さ約50mの根本大塔、金堂、愛染堂、不動堂を歩いて巡る。
道路わきのベンチ横のオブジェは「一休さん」風小坊主の居眠り石像、愛嬌があって可愛い。
駐車場に抜ける「蛇腹路」はすでに秋の香りの風情、思わず息を吸い込む。
弘法大師御廟までの両側は幾千以上と思われる墓地、戦国武将の墓、句碑それぞれに想いをはせながら奥の院に進む。
奥の院の入り口、「水向不動」に水をかけ己の心身を清め御廟に向かう。
ここからは撮影禁止、昭和の中ごろまでは女性進入禁止だったという。何から何まで驚くばかり、弘法大師の偉大さ、真言密教の入り口を見たという感じであった。
見残したあちらこちらに心を残しながら高野山を後にする。南紀白浜を目指し「高野竜神スカイライン」に、スカイラインとはよく言ったものだ。
行けども行けども山が重なり合い、その山の頂上を走ってゆく。母は和歌山は山ばかりと嘆く。義弟に言わせるともともと和歌山の旧名は「木州」だったが紀ノ川の紀をとって「紀州」としたという。(私の考えでは西の防御、要衝として徳川御三家の一つを置いたことも確かと思うが、度重なる江戸の大火の木材を確保するためと思う)
竜神温泉、奇絶峡を経て田辺市白浜にたどり着く。
皆一様にぐったり、温泉で疲れを取り一日を終わる。ホテルから白浜の浦を望む。