裁判員制度について考える
和歌山毒物カレー事件で、最高裁が状況証拠を挙げ、「疑いなし」として上告を棄却し容疑者の死刑が確定した。
間もなく5月21日から
「裁判員制度」が始まるが改めて考えさせられる。前記毒カレー事件のような「直接証拠なし、動機不明、全面否認」の難事件で裁判員が我が手で<死刑>を選ぶことが出来るだろうか。
裁判員制度の目的は、
裁判に市民感覚を反映させることだというが……。
裁判官というプロが的確な判断が下せるように精進すれば済むことであって、人間の生死を分かつ場面にズブの素人を参加させ煩わせる必要はないのではないだろうか。
現状では誰でも「
裁判員に選ばれないよう」祈っているのではないだろうか?