季節感の再生

古葉茶庵

2009年03月30日 11:31

 なかなか春が遠いというか、さっぱりしない今日この頃である、春休み中の孫(男4人)が集まって、なんというか、嬉しいというか、悲しいというか、五月蝿いというか、そんな閉口の日々である。


 「食の安全」が問題視される昨今であるが、日本人の「季節感の安全」が心配である。

 食べ物の旬は、季節を先取りする「走り」や、よく出回る「出盛り期」を指す。野菜にしろ、魚にしろ「旬の味」は『たまりませ~ん』となる。

 春を迎えた今ごろは新タケノコ料理(中でも私の好みは木の芽和え、ツワも加えた炊き込みご飯etc……)に続いて初鰹が間もなくか……。

 ところが、一方、いつでも何処でも一年中が旬のコンピュター制御の「ハイテク植物」がある。一年中出回っているので食物に対する季節感が鈍り、日本人としての感性が衰えることを懸念する。

 俳句に使う季語や季題、手紙の書き出しに季節の挨拶を入れることなどは、外国人に不思議に映るそうだ。しかし、日本人の季節に対する繊細な感性と表現力に驚きと敬意を表し、「自然と風土への愛着を、言葉そのものから喚起されるイメージをもって表す民俗は日本人のほかにはいない。」と語る外国人も多くいると聞く。

 
 日本人の季節感は、美意識や倫理観を養ってきた。  世の中どんなグローバルな時代になろうと、「自然を身近に感じながら、季節を表す言葉と感性をますます磨いていきたいものである。