志布志(しぶし)について思うこと???

古葉茶庵

2008年12月12日 13:56

 去る夏休み、長女孫(小六)を連れて墓参りに帰郷した。その時「吾亦紅」のCDを聞き口ずさみながら運転した。孫娘に聞かれ、「この歌を聞くと母を想い出す」と応えた。

 そして、昨日孫娘が「じいちゃん!じいちゃんのことを俳句に詠んだら佳作に選ばれた。」と言って校長先生が書いた俳句色紙を持ってきた。

 嬉しくてパソコン机の前に飾っている。…… 『母の顔 思い出させる 吾亦紅』 ……




 ……閑話休題……

 最近、内田康夫の新刊「地の日天の海」を読んだ。内田康夫は推理作家であるが、今回は時代物に取り組み、この本は、後に徳川家康、秀忠、家光の三代にわたって草創期の将軍のブレーンとして活躍した「慈眼大師天海上人(南光坊天海とも)の不明の前半生を織田信長の生涯に合わせて描いたものである。

 この中で、織田信長は美濃を支配し城下の名前を「井口(いのくち)」から「岐阜」に改めた。「岐阜」は中国の周時代に文王が岐山に拠って平定した故事にちなんだ。

 これ以降、信長は公式文書に「天下布武(てんかふぶ)」の印鑑を好んで用いた。「天下布武」とは「天下に武を布(し)く」と読み、文字通り解釈すれば「武力を用いて日本全土を制覇する。」という意味に受け取られるが実はそうではない。

 「武」という文字の解釈には戈(ほこ)を止めるという意味がある。古代中国の書き物に「武に七徳あり」と書かれている。

 七徳とは、「暴力を禁じ」、「兵を治め」、「大きな国を保ち」、「功を定め」、「民を安んじ」、「人身を和ませ」、「財物を豊かにする」の徳だという。


 やっと結論に達しようとしている。……さて、わが街「志布志」『志(こころざし)を布(し)くことを志す』街ということである。また、「志」は「士(さむらい)の心」でもある。

 本年、4月24日が「しぶし」の日に制定された。来年の「志布志の日」には志(こころざし)をもって「武の七徳」を全国に発進したらどうだろうか。